なぜ情報を集めても動けないのか?

 

セミナーには行った。ノートもとった。SNSで自慢げに写真も上げた。
でも、何も変わっていない。

そんな“知ってるだけ”の人が、今の時代には大量にいる。
しかも、本人は「学んでいる」と信じているから、やっかいだ。
この文章にうなずくあなたがいたら、もう安心していい。
気づいているだけ、まだましだから。

情報収集は、安心のための“お守り”だった

人は不安になると、つい情報を集めたくなる。
これは悪いことではない。人間の防衛本能として正しい反応だ。

でも、問題はそこからだ。
集めすぎると、「もっと知ってから」「もう少し準備してから」という言い訳が増えていく。

結果、「まだ足りない」と思い込んでしまい、
行動はどんどん先送りにされる。
こうして「知識はあるけど、動けない人」が誕生する。

 捨てた情報が、あなたの指針をくれる

情報って不思議なもので、捨てたときに見えてくるものがある。
つまり、取捨選択ができて初めて、自分の指針になるということ。

物の断捨離と同じで、
「何が必要か?」よりも「何を手放すか?」を決めることで、自分の価値観が浮き彫りになる。

そのプロセスを経て、ようやく「自分に必要な情報」と「自分を惑わせる情報」が分かれてくるのだ。

 

情報は行動の燃料、ガソリンを貯めるだけでは走れない

情報は“燃料”でしかない。
いくら高品質なガソリンを満タンにしても、エンジンを回さなければ車は走らない。

つまり、どんなに良い情報でも、
行動に使わなければ、ただのメモリの肥やしになる。

そして、実際に行動してみるとわかる。
「ああ、この情報、いらなかったな」
「これは今の自分に必要なことだったな」
その実感こそが、あなたの“知恵”になる。

 

まとめ:

行動でしか「情報の価値」はわからない

たとえば、あなたがいま「やろうか迷っていること」があるなら。
手元の情報を一度ぜんぶ閉じてみてほしい。
そして、1つだけ選んで、まずやってみる。

動いたその一歩が、
「使える情報」と「いらない情報」を分けてくれる。

情報は、動いて初めて意味がある。
知ってるだけの自分と、やってみた自分。
どちらが、自分を変えてくれるだろうか?

執筆:鹿内節子