知識と問いの違いとは?

 

―― AI時代、“考える人”に残される未来

「物知りな人」と「考える人」、どちらがこれからの時代に必要とされるのでしょうか?

かつては知識量がモノを言いました。「そんなことも知らないの?」という一言が、職場や学校で人の優劣を分けていた時代もあります。

でも、いまは違います。何でも検索できるし、AIに聞けば一瞬で答えが返ってくる。 だからこそ問われるのが、「問いを持てるかどうか」です。

 

知識は“答えのストック”、問いは“未来への入り口”

たとえば、知識は冷蔵庫の中の食材のようなものです。たくさんあれば料理はできるかもしれません。 でも、それだけでは食卓には何も並びません。何を作るかを考え、手を動かさなければ。

問いは、その「何を作るか?」を決めるレシピのような存在です。 つまり、知識は素材、問いは調理の起点なのです。

どんな問いを持つかによって、使う知識も、意味づけも変わります。

 

■ AIは“問いの意味”までは理解できない

AIに聞けば、歴史の年号も、病気の症状も、法律の条文もすぐに出てきます。 でも、「なぜそれを知りたいのか?」や、「本当にそれが知るべきことか?」という問いの本質には触れられません。

たとえば、AIに「この企画、もっと良くするには?」と聞いたとします。 すると、デザインを変えるとか、ターゲット層を見直すとか、色んなアイデアが出てきます。

でも、「そもそもこの企画は誰のため?」「その人たちは何に困ってる?」といった“問い直し”は、人間の役割です。

 

知識は「過去」、問いは「未来」をつくる

知識は、すでに誰かが得た“答え”の蓄積です。辞書や教科書にあるものですね。 でも、問いは「まだ誰も答えを出していないこと」。 つまり、問いがあるところに、未来があるのです。

たとえば、ある士業の先生が「契約書を正確に作れる」だけでなく、 「この契約、将来どんなリスクがあるか?」と考えられたら、どうでしょう。

その人は“単なる知識提供者”ではなく、“未来のトラブルを防ぐパートナー”として信頼されるはずです。

 

「問い」は、思考のスタートボタン

問いがなければ、思考は始まりません。 そして、問いがあるからこそ、知識が意味を持ちます。

私たちは、「何を知っているか」ではなく、「何を知ろうとしているか」で評価される時代に入っています。

たとえば、若手社員が「この資料の作り方、どうすればもっと伝わるか?」と聞いてきたら、どう思いますか?

ただ「作りました!」と言ってくる人より、ずっと“伸びしろ”を感じるはずです。 それは、「問いを持っている人は、成長する」からです。

 

まとめ:知識は埋もれる。問いが未来をひらく

情報は、誰でも手に入る時代。 だから、「知っているだけ」では埋もれてしまう。

でも、「問いを持てる人」には、必ず出番があります。 問いがあるところに、信頼される会話が生まれ、商品が生まれ、仕事が舞い込んできます。

そして、AI時代においても、“問いを立てられる人”が最後に残る。 それは、私たちが知識を超えて、「考える存在」であるからです。

あなたは、いまどんな問いを持っていますか? その問いこそが、あなたの未来を決めるのです。

執筆:鹿内節子

AIと共存するための思考法

 

―― 「使われる側」から「使いこなす側」へ

「AIに仕事を奪われる」と言われる時代に、私たちはどう生きるべきか。 それは、単にAIに抗うことでも、全面的に頼ることでもありません。 鍵は、“思考のポジション”を変えること。つまり、AIと役割を分けて共存することです。

その第一歩は、「思考の役割分担」を知ること。

 

■ AIは思考の“下位レイヤー”を得意とする

AIが優れているのは、大量の情報からパターンを見つけて要約したり、構造を整える作業です。 つまり、

  • 情報の収集と要約
  • 構成や表現の整え直し
  • 形式的なアウトプットの自動生成

こうした“思考の補助的工程”は、AIが急速に人間を上回りつつあります。

しかし、問題はここからです。

 

問われるのは「何を問うか」「何を残すか」

AIは与えられた問いに答えることはできますが、「何を問うべきか」は自分で決められません。 また、要約や編集ができても、それを“どの文脈で使うか”までは判断できない。

だからこそ必要なのが、人間の「選択力」――すなわち、

  • どの問いを立てるか?
  • どの情報を活かすか?
  • どう位置づけて意味づけるか?

これらの判断は、人間だけに許された領域です。

 

編集と要約も、最後は人間の仕事

たしかにAIは、文章を整えたり要点をまとめたりするのが得意です。 しかし、それは“文脈から切り離された形”での処理に過ぎません。

実際、AIがまとめた文章をそのまま出してしまうと、

  • 誤解を招く言い回し
  • 本質からズレたポイント強調
  • 事実誤認のままの記述

といった“精度のゆらぎ”が生まれます。

ここで必要なのが、「監修者」の視点です。 AIの成果物を点検、確認し裏どりをする。全体を俯瞰して確認し完成品に仕上げる。これらはまぎれもなく人間がする仕事です。また人々が信頼をよせる成果物と認められます。。

 

人間の役割:問い・違和感・価値判断

AIと共存するには、人間が上位レイヤーに思考を移す必要があります。 具体的には、次の3つが鍵です。

問いを立てる力  → AIに投げる質問の質が、得られる結果を左右する。

違和感を察知する力  → 「なんとなくおかしい」と気づく感性は人間だけのもの。

価値ある選択をする力  → 何を削り、何を残すか。誰に伝えるか。責任を取るのは常に人間。

 

共存とは、責任を持って「使いこなす」こと

AIを使いこなすとは、命令を出すことであり、判断を手放さないということです。 そしてそれは、単なる技術スキルではなく、「思考の構え」そのものでもあります。

AIが生成する情報の価値を決めるのは、私たち人間。 AIが書いた文章を、使える文章にするのも人間。

その意味で、AIとの共存とは、最終的に責任を持つ“編集者としての知性”を持ち続けることなのです。

いま、まさに私たちが実践しているように。 AIが骨格をつくり、人間が意味を選ぶ――この連携こそが、これからの知的生産のかたちです。

執筆:鹿内節子